明日への希望とか夢とかを信じてない人間が書く、心地よい言葉の羅列の夢心地な物語は、
人の心を弄ぶ者の『愛している』の言葉と同じぐらい罪深いのではないかと思い始めた。
愛してないのに下心で抱く事と、他人にただこびへつらうように適当に気持ち良く描いた物語に、何の違いがあるというのだろうか。
と、そこまで考えて、そういえば私はこの世はクソったれだと思っている時はそのままクソったれだと書くヤツだと思い出した。
私にゃまったく関係ない話だった。
ちなみに、本当に愛している人にも愛していると伝えられないような人間だった事も同じく思い出した。
マジで私にゃ何の関係もない話だと気づいて涙した。
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